レンタルDVDで「マジェスティック」を観ました。

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 今日は、ジムキャリー主演のマジェステックを借りて観ました。

マジェスティック

 実は事前知識も無く、「そういえば・・・ジムキャリーが出ていたな!」だけでなんとなく借りてみましたが、内容はジムキャリーだからといってコメディーも無く非常にバランスが取れているストーリーでとても感動しました。 時代背景が第二次世界大戦後ぐらいのようでしたが、ひょんな事から反政府扱いされてしまい、事故で記憶喪失になり辿り着いた町が戦争で多くの若者を失い町全体に活気かないところへ、ある戦死した青年に間違われてしまいますが、クライマックスでは、その青年や戦死した若者の意思や思いを強く発言するシーンには感動しました。
 ・・・しかし、つい最近の映画かと思っていましたが、2002年の映画だったとは!

 これを観ながらニュー・シネマ・パラダイスを思い出しました。 映画館を作るというところでですが・・・
○ニュー・シネマ・パラダイス

ニュー・シネマ・パラダイス 完全オリジナル版

 
 下記の映画は、 この映画と同じような感動があったので一応メモしておきます。
 (あくまで個人的に・・・)
○マイ・ドッグ・スキップ : 心温まる犬の物語です。
マイ・ドッグ・スキップ

 
○天使のくれた時間 : 大富豪が夢で得た経験で、本当に何が大切かを知る。
天使のくれた時間 デラックス版

 
○トゥー・ウィークス・ノーティス : 大富豪と秘書のラブストーリー
トゥー・ウィークス・ノーティス 特別版

 この映画で「ハリウッドのブラックリスト」について始めて知ることが出来た。
 
 DVDに入っていた説明より・・・

ハリウッドのブラックリスト
第二次世界大戦で日独伊枢軸国に勝利した後、アメリカ政府は、自由と民主主義を脅かす次なる対象として、共産主義にその焦点を移した。
 
 1947年に下院非米活動委員会(HUAC)を再開した議会は、ハリウッドがリベラル派と共産主義観派の温床であると、その調査を開始した。
 
 1947年9月、下院議員J・パーネル・トーマス率いる非米活動委員会は、著名な脚本家、俳優、監督を含む41人を聴聞会に召集した。
 
 しかし9人の脚本家と1人の監督がその証言を拒否。
 議会侮辱罪に問われ投獄された。
 彼らは後にハリウッド・テンとして知られるようになる。
 
 ハリウッド・テンとは、監督のエドワード・ドミトリク、脚本家のアルヴァ・ベッシー、ハーバート・J・バイバーマン、レスター・コール、リング・ラードナー・Jr、ジョン・ハワード・ローソン、アルバート・マルツ、サミュエル・オーニッツ、エイドリアン・スコット、ダルトン・トランボの10人をいう。
 
 1951年、ジョン・S・ウッド率いる委員会は、聴聞会において共産主義者の名前を明らかにすることを迫った。 その結果、証言を拒否する、もしくは仲間によって密告された300人以上の脚本家、監督、俳優は職を失うこととなった。
 
 ハリウッド・テンの10人に加え、俳優のサム・ジャフェ、ウィル・ギア、リー・グラント、バージェス・メレディス、ゼロ・モステル、脚本家のクリフォード・オデッツ、ポール・ジャリコ、マイケル・ウィルソン、エイブラハム・ボロンスキー、監督ではマーティン・リット、ジュールス・ダッシン、俳優/監督であるショーン・ベンの父親であるレオ・ベンがブラックリストに追加された。
 
 俳優、監督たちが舞台やテレビに移る一方、ブラックリストに載った脚本家のダルトン・トランボは、”ロバート・リッチ”の偽名を使った「黒い牡牛」で1956年のアカデミー原案賞を受賞している。
 
 監督のオットー・プレミンジャーは1960年の「栄光への脱出」で、俳優/プロデューサーのカーク・ダグラスは1960年の「スパルタカス」でそれぞれトランボの名前をクレジットに表し、ブラックリストは事実上、消滅した。
 
 しかし、ブラックリストにより多くの映画人の生活とキャリアが激しく傷つけられ、彼壊させられた、その影響は今日もなお残っている。
 
 1960年代の終わりに、アメリカ脚本家組合は、ブラックリスト時代に偽名を用いたり、”フロント”と呼ばれる代理人の名前を使って書かれた20本以上の映画のクレジットを正式に訂正した。

 2000年、非米活動委員会の聴聞会において、仲間の名前を内通し”裏切り者”とされた監督のエリア・カザンにオスカーの名誉賞が与えられたが、これには抗議の声も上がった。